庄内川下流部のビューポイント? (13):石黒・田中

 

34 【庄内川】第1出張所

 

 この地【33七所社(万場大橋左岸上流)】より下流500m程の所に事務所があり機材が保管されている。この自動車時代にしては駐車場があまり広くない。

 

 本川が大きくSカーブする所で水当りになるが、流れの直撃には当ってないようだ。また、大正橋地区に比べたら水路幅(澪筋)も小さいので破堤の心配はしていない。

 

 事務所北~万場大橋間には愛産大工グランドはじめ多くの民地が残っていて耕作しているのは生物層をよくしてるが、昔に比べると有機肥料をほとんど使わないのが残念。もっと昆虫が多かったし、爬虫類も多かった。トンビやキジが全く見当たらない。

 

35 万場大橋西南

 

 堤内側小段をなくして市民に親しんでもらえる空間作りがなされ、大正橋手前まで整備された。近くに県営集合住宅が何棟か建っているが住民の使用は少ない。渡し場跡地にはほこらと小さい鳥居が立っていて、標示板もあるが人の訪れは少ない。

 

 この地区の大地主(昔の床屋)18代当主は狩猟と魚釣り仲間で親しく交流している、名大工学部卒でガラス繊維と混合した強化プラ製の釣竿や容器、タンク製造で自営している。学生時代アイスホッケー選手で衝突事故で大ケガをし、足が不自由だが、アマチュア無線仲間が多いようだ。何度か訪問しているがそれなりの邸宅で大型犬2頭が居て人間と同等あつかい、レンガ作りでシャレた2階建で子供らは親離れしていて秋田出身のきれいな奥さんは料理が上手、カワハギの肝のにぎり寿司を出された時にはビックリ。尾張徳川家より古くからこの地に住み江戸期に登城のおりにはおカゴで往来。戦時中を通して百姓をした事もなく戦後の相続税も家宝を物納したとか街道筋も取り仕切ったと聞く。

 そのS氏とは庄内川自然環境活動でもつながっていて松並木づくりや干拓の国定公園化も賛同してくれてたが遅々として進まず呆れられた。